2017/10/30

コクチ『素材の展望展』+『TUAD STORE』@東北芸術工科大学 in山形


11月は東京と山形で、ほぼ同時期にグループ展示があります
(後日、東京の展示のコクチします)

まずは、
東北芸術工科大学(山形)で、4年に一度の工藝卒業生と教員の展示の参加と、同時開催の展示販売をいたします

素材の展望展
2017年11月11日(土)~19日(日)
10:00~19:00
※初日12:00~/最終日~16:00
東北芸術工科大学 本館7階ギャラリー

TUAD STORE 展示販売
2017年11月7日(火)~11月18日(土)
9:30~19:00
※土曜日は~14:30/日曜定休
東北芸術工科大学 学生食堂1階 TUAD STORE

http://blog.tuad.ac.jp/sozainotenbou/

 東北芸術工科大学
〒990-9530 山形県山形市上桜田3丁目4−5


クラフトフェア、ギャラリートーク、特別ゲストによるトークセッションなどもあるみたいです

私は行けませんが
山形は、良い所だし、季節も良いし美味しいものたくさんあるので、ご興味がある方は是非。
入試課のツイッターから写真を拝借
大学の正面
大学も良い所にあります

2017/10/29

“描け”


『かくかくしかじか』1-5巻 東村アキコ

なんでこれを読もうと思ったのかな…

美術系大学出身の人、これ、読んでっ、とりあえず。(特に30-40代)

あー、なんだろうか、というか、もうさ、美術系って人種は同じなのかな?
なんか、登場人物のほとんどが自分の記憶とかぶるのだけど
アート系の変人系統と学生生活ってテンプレートなのかな
あたかも不思議な人たち風に描いてるけど、むしろこの人種は懐かしい勢いだから…
いや、もっとわけわからない人ばかりだったよ…
私、普通すぎてポカーン…だったけどさ、
今や慣れてしまったから、逆に社会性があるアート系以外の人の方がわからなすぎて、アート系の中にいるとホッとしてる自分さえ自覚したよ…

しかも、いろんなことがかぶる…
なんだろう、ほぼ同世代で、美大受験決めた時期がほぼ同じで、大手予備校ではなくアットホームな美術研究所に行ってて、大学が地方で、それから、それから…

…後悔はしたくないのに、なんであの時にってのも、いなくならないとわからないのも、卑怯さも、弱さも、言い訳も……

だからなんか、色々ギシギシ来たけど
なんか、心が救われた
救われていいのかわからないけれど

ありがとう、東村さん

推薦落ちたのも、絵が下手すぎて試験中に周りの人の描き方を見て絶望したのも、そのまますぎて…本当に懐かしい…

でも、私の美術研究所の絵の先生だけは、全く違うかな
私を甘やかしすぎてたから、そして、それに甘えまくりで安住して、今に至るから…
たぶん、美術の才能がないのがわかったから、すぐに見切りをつけて、私の"甘え倒して世間を渡るスキル"を伸ばしてくれていたのかもしれない…と、今なら思う

あと、余談だけど、宮崎の人とか土地のあったかい雰囲気も、
今年行ったばかりだから、すごくわかって面白かった



大学の時、ちょっと教え方が鼻に付く感じの先生(本当に失礼です、ごめんなさい…)の座学で、
たしか宮沢賢治の最愛の妹の死を詠んだ"永訣の朝"だったと思う

その時に
(死別などの)深い悲しみを表現する(アウトプットする)ことによって、悲しみを昇華させ自身が慰められる、みたいなことを言われて

その時の私は、それがよくわからなくて、しかもなんとなく深い悲しみへの冒瀆な気がして、なぜかすごく頭にきて、その日のレポートに用紙ビッシリと反論を書いたことがあった
眠くなる内容だし、ほとんど誰もまじめに聞いていない授業だったので、解釈はどうあれ私みたいにいきり立って長文のレポートを出す生徒も珍しかったので、レポート評価は良かったが、コメントは批判的だったと思う

でも、それから数年後になんとなく気づき、
今になって、ようやくわかってきました

深く悲しいことや辛いことは、外に出した方が良いんだなって

すぐには無理かもだけど
時間かかっても、それを自己表現すること
向き合うのは、すごく辛くて大変だけど
その分、少しだけ傷が癒えるから
それは、自己満足で良いのだと思う

それを他人がとやかく言う筋合いはないんだし

けど、
私は、何度か同じような状況になったけれど、全部逃げて来てしまった
彼女は、何度もクズだと自分を罵るが、私はそれの上をいく臆病者のカスで
この先も、別れ"に面と向かい合うことができるのかさえわからなくて、負い目と不安が付きまとう

だから、語る資格すらないんだろうけれど


ただ、近い人たちには、
十分に苦しんだのだから、
今度はちゃんと自分を救ってあげてください、と思います

2017/10/26

カスタマーレビュー



Amazonで、仕事の材料を買おうと思い、探していたら
あまりカスタマーレビューを書くような品物でもないのに、8件もあったので
興味本位でコメントを読んだら、ほとんどが全く予想しなかった用途で高評価をつけていて、ちょっと感動した

https://www.amazon.co.jp/gp/aw/reviews/B005G2O0FI/ref=cm_cr_arp_mb_viewopt_srt?ie=UTF8&sortBy=recent&pageNumber=1

日本画用って書いてある商品なのに

ま、私も陶芸に使うのだけれどね

しかし、やっぱり膠は汎用性高いなぁ

こういうカスタマーレビュー欄を見るとワクワクする


…って、今、初めて知ったけれど…
面白いカスタマーレビューのまとめサイトや大喜利的なものが存在しているのか…

いや、それは別の意味で面白いかもしれないけどさ、

膠液のレビューみたいに、ハートにグッとはこないんだよなぁ

しかし説明されても、それぞれが専門的すぎて、いまいち用途を理解できないのだけど…

あ、こんなことに萌えているのは、私くらいか…

ちょっと感動したから…つい

私も、レビューしてみるかな

2017/10/13

創作という名の、霞

カナダ在住のアーティストのEちゃんから
この人知ってるぅ〜?
と、聞かれた時に、池田学をはじめて知ったのが数年前

他のアート同様に、細密ペン画をしている人は沢山いるのだが、
有名になれるかなれないかは、
結局、運と努力なのかもしれない
もちろん才能はありきの話だけど
世の中、絵が上手い人なんて腐るほどいるんだよな…

先日まで、高島屋本店で池田学展があったので見に行くと
メディアに沢山取り上げられたからなのか、平日の昼なのに人がたくさんいた

佐賀県立美術館の方のポスターですが…
こっちの方が好きなので

暇なのは、じいさんばあさんと私くらいなものだから、年齢層が高めで
みな、ほぇ〜とか、細かいね〜、よくみえんよ、これは何かね…とかつぶやきながら見ていた

じいさんばあさんが好むようなアートじゃないと思うが、
この世代を動かすのはテレビと新聞なので、きっと大きく取り上げたのだろう

都内の美術館での展示ではない事を気の毒に思ったが、
アートに関心がない大衆層にも垣根を広げるには、百貨店の方がいいのかもしれないと、客層を見ながら思う

池田さんも言っていたが、
今のご時世、ネットで探せば、作品は見れるし、
特に平面作品の場合は、それで満足されてしまう場合がある

下手すると細密画だと、画質さえ良ければ、簡単にマクロにもミクロにもできるので逆に見やすかったりする

でも、サイズ感を掴めないのが二次元の難点で、
そのサイズ感がたぶん一番重要だったりする(アートに関わらず)
Rebirth, 2016. Pen & ink, 13 x 10′ (300 x 100cm). Courtesy the Chazen Museum of Art.
photo from http://www.thisiscolossal.com/2016/11/rebirth-manabu-ikeda/

漫画家が使う丸ペンの一番細いものを使っているらしいです
Manabu Ikeda at work, still from Clayton Adams.
photo from http://www.thisiscolossal.com/2016/11/rebirth-manabu-ikeda/

食肉処理場のベルトコンベアみたいに、絵から絵へと動いては、合流や脱退の増減を繰り返しノロノロと進んで行く生肉を想像しつつ
そのプロセスに自分も組み込まれて、会場内を回る

こんな人いきれの中で決められた手順で作品を見るのは、
気分も削がれるし、好きなように見なきゃ作品に失礼だと思うが、
日本だと仕方ないんだよな…と、作品の箸休めとして、眼前に迫るおじさんの頭皮を見つめる

あぁ、バベルの時もそうだったな、と白髪に繋がる毛穴を見つめながら思い出す

あの時など、怒り出す老人がいて、警備員がなだめていた…

そういえば、バベル展(東京都美術館)の感想は書いてなかったから、ここにまとめて書いてしまおう


私は絵が描けないから、とにかく絵が描ける人は尊敬する
池田さんの作品は、
たしかにすごかった
本当に時間がかかる仕事だし、
細部と全体(ミクロとマクロの視点で)の構成のバランスがとても綺麗だった
そして、すごく丁寧
あの作品サイズで、あの細かさを1㎝四方の中でさえ、手を抜いていない真面目な仕事をしている感じがした

つい職業病で腱鞘炎を心配してしまう

細密であれだけ大きいと、人はその仕事量に有無を言わさずに圧倒されてしまうんだろうな
とにかく細密画では信じがたい大きさである


この動画は、 Chazen Museum of Art(ウィソコンシン大学の美術館になるのかな)でのArtist-in-residence program時の制作風景(1枚の絵に3年3か月掛けて制作)で、工程がすごく分かりやすい動画

http://www.thisiscolossal.com/2016/11/rebirth-manabu-ikeda/
↑英語のarticleだけど、上の写真も動画もここから拝借した。
とても分かりやすくて良いです。


でももしかしたら、大きな作品をみるより
東京動物園協会の季刊誌の挿絵の動物の写実をみる方が純粋な画力みたいなのがよくわかるのかも
Canis latrans,2008,Pen & ink,19.3 x 16.2 cm

マクロとミクロの目を持ているのが、ものすごい才能なんだろうな
予兆,2008,Pen & ink,190×340㎝  photo from saga prefectural museum
ただ、混んでいて、好きに見れなかったのが、本当に残念だった
また、どこかの機会に、ゆっくり鑑賞できたらいいな
たしか今回なかったけど、船の絵も見たいし


でも混んでいると、周りの会話が聞こえて面白かったりもする

池田さんの作品は、細密画によくある遊び(ウォーリーを探せとか安野さんの旅の絵本みたいな楽しみ方やトリックアート的な楽しみ方)があるので、
あぁ!こんなところに〇〇がいる!これはよく見たら一つ一つが〇〇なのね!みて、あそこは〇〇をしている!とかアートに興味なくても万人が楽しめる仕組みになっている
安野光雄『旅の絵本Ⅶ』(中国編)より

"きっと描いていて楽しいんでしょうねぇ"、と近くにいた老年の女性が呟く

池田さんの気持ちは知らないけど、
私もこの言葉を本当によく言われるが、現実は全く楽しくない…
彼はどうだろうか…

途中、後ろに背の低いばあちゃんがいた、彼女は、見えなかったり、何かわからなかったりすると、私に尋ねてくるので、簡単に説明したりしていた

あと、おしゃべりな3人のマダムの会話もおもしろかった
"この人、芸大なのね。"
"さすがねぇ。"
"そーいえば、芸大卒の半数以上が、消息不明になるんだってよ。"
"すごいわよね〜"
という会話をしていた …

え?そうなの?芸大卒の知り合い、割といるけど、私の芸大以外の知人よりよほどしっかりしているが、これはまさか、missingしていない半数以下の貴重な人たちなのかな…

池田さんの興亡史シリーズのところで、小さな作品を見ながら(S0号より小さかった気がする…)
"4,5年前にこの作品を銀座の○○画廊で3万円で売ってたら、たっけぇなァ~て思うだろうなぁ"と、後ろのおじさんが大きな声で呟くのを聞いて、複雑な気分になりながら進むと
眼前に"興亡史"の城の大作が見えて、バベルを思い出した
興亡史,Pen & ink,200×200cm  photo from saga prefectural museum
池田さんの作品は写真に作品サイズを書いているので、注意してみてください
例えばこれなら"2m×2m"ですからね!!
サイズはかなり小さいが、細かさで言うと、ブリューゲルのバベルは、凄まじかった
視力だけが取り柄の私でさえ裸眼で追えない…
しかも、油彩であり、筆で描いているという脅威

The Tower of Babel (Pieter Bruegel the Elder, 1570)

バベル展は、上半期一番楽しみにしていた展示だった
理由は、まだ見たことのない2枚のヒエロニムス・ボスの作品が初来日だったからなのだけど

25点のみが、世界に現存するボスの絵だと言われているが、昔から好きな作家なので、10代から機会があれば海外の美術館に行くたびに探した
ので、たぶん、すでに10枚くらいは実物をみていると思う(真作らしい"のも含む…)
今回来ていた2枚の内の一つ『放浪者』
たしか、この絵は、数枚の組絵作品だったはず(だからこれは丸い形)だけど、今はバラバラになっていたはず
Hieronymus Bosch: The Wayfarer, circa 1500–1510

バベル展は、表題のブリューゲルとボス以外にその時期の作家や工房作品が色々来ていたが、さほど好みの作品はなかった(彫刻は面白かった)

エッチング(銅版画)作品もいくつかあった、
モノトーンな細密画とエッチングの相性の良さは言うまでもないが、
逆に、相性が良すぎて素人目には違いがわからないと思う
エッチングの作品
ピーテル・ブリューゲル1世(下絵) / ピーテル・ファン・デル・ヘイデン(版刻)
「大きな魚は小さな魚を食う」 1557年 Museum Boijmans Van Beuningen, Rotterdam, the Netherlands 


池田さんも、エッチングを数点出していた
やはり、相性がよく
同じ手間をかけるなら、エッチングにして枚数を増やした方がよほどお金になるだろうな…と素人は思ってしまう

池田さんのインタビューで聞かれていたが、
宮崎駿に似ていると言われているらしい
(彼自身は影響を受けたアーティストはいないと言っていた)
それをいうなら、大友克洋にもでしょ(大友さんは、バベルで内部を描いていたな)
宮崎駿『風の谷のナウシカ』(原作漫画)より
大友克洋『AKIRA』より、一部分
大友克洋による、バベル内部
大友さんの手描き内部をデジタル技術で融合したらしい

我々の世代は、アニメーションや漫画などから多大な影響を受けているから、無意識のうちにそれが出てしまうのは仕方ないんだろうな
特に、ファンタジーやSFをテーマに描いていると如実に辿ってしまう

だから、そういうものたちの寄せ集めの池田さんの作品やモチーフに既視感を覚えるのは、仕方のないことで(そもそも、たぶんモチーフの選択が自然物と既製物や人工物だし)

余程、草間さんのようなご病気か、ドラッグを使えば突拍子も無いものがうまれるかもしれないが、LSDや瞑想でsatori "してまで描くよう不健康さや狂気は池田さんからは、全く感じない

あと、もちろんアニメーションや漫画だけでなく、それまでの自分が目にしたアート、デザイン、物語、映画、自然物…全ての影響下に我々の思考は存在する

現代において、センス=知識量だと言われているから、知識と経験が多ければ、センスはおのずと身につくのかもしれない

情報に溢れ、なんでもネットで調べられるこの時代だからこそ、
(老衰した私の脳細胞に深く刻み込ませるためにも)本物を見ることの大切さがあるとは思う
Jean Henri Gaston Giraud
Jean Henri Gaston Giraud
超有名なフランス人漫画家

人間にとって何も明かされてない時代
たとえばロウソクの光が届く範囲しか見えず暗闇や悪魔が存在した時代とか
科学的解明がなされず錬金術や天体の研究で、魔法や精霊がいた時代とか、
そうゆう不明瞭や不可思議が溢れていた時代の人たちの作品、
たとえばボスやブリューゲルの時代の作品は、見たことのないものが存在していて、今でも私をドキドキさせる
ボスの絵から生まれたフィギュア
figurines by Netherlands-based Parastone

でももう、そうゆうことは、どんどん少なくなっていくのかもしれない

それを考えると、すごく悲しかった

ただ、それに近いものを体感できるとしたら、まだ、文学と旅の中には、あると思うのだけど…

それは、私の願望なのかな…

新聞世代にもわかるペン画だと、
去年まで朝日新聞連載小説の沢木耕太郎の春に散るの挿絵を描いていた、中田春彌
この人もうまくて、よく挿絵をみていた(これで知ったけど)

今回、名前をあげたのはすごく有名な人ばかりだけど、
本当に世の中、超絶的に絵がうまい人はいっぱいいてキリがない

きっと絵がうまいだけじゃ、有名にはなれないんだろうな
逆に、絵がうまくなくても有名にもなるし
絵の才能よりも有名になる才能が長けている方が、絵を描き続けることができるんだろうなぁ
両方持っている人も、もちろんたくさんいるけど

話は変わるが、
たしかtumblrで見つけて、画像保存していたが
link先がわからなくなって、これ誰が描いたか知りたいのだけど
ご存知の方いますか?
なんかこの人、見たことあるんだよな…
私に似ているとか、そういうことではないと思うけど…

2017/10/07

新党、チョコミン党。



引きこもって制作している内に過ぎ去った私の誕生日に立ち上がった新党が、もっぱら話題の中心らしく

いや、やめてください…
その日に生まれたのは私だから、1日ズラしてくださいよ、と緑っぽい画面にうらめしく思う

相変わらず、右に左に騒いでいる画面と民心(ダブルミーニングじゃないです…たぶん)に、デジャブを感じる
が、
出陣する方は、官軍になるか賊軍になるか戦々恐々で、みんな死にものぐるいなんだろうことは、よくわかる
勝ちたい人はどんな手を使っても勝たないと何にもならないから仕方ないと思うので、
指を舐めて風をみたり、ダウジングで鉱脈を探したり、すべからく頑張っていただきたい

しかし残念なことに、
制作していると、本当に心が虚無になり、どうでもよくなる
人のことも隣のことも、自分のことも世界のことも、食べたものも(料理は別腹)、そして制作以外のすべてが煩わしいし、どうでも良い

こういう人が増えると、自ずと社会は衰退へ向かうので、前回言いましたが、仕事は休みながらやりましょうね

しかしこれは、だれでもなる現象なのかな
ということは、働く層の投票率が悪いのは、仕事のしすぎなんじゃないか?

制作中、基本は家から出ない
まー出れないっていうのが正しい表現なのだけど
でも、たまにどうしても出なきゃならない用事(支払いとか)があるから、外出するのだけど、
どうでも良いから寝癖で出てしまう

そこまでは、よいけど、
こないだふっと気づいたのだが、
私は、歩きながらずっと制作の事を考えて独り言を言いながら両手で形を作っていたらしい
意識高い系の会議中の手つきみたいな身振りを、ブツブツいいながら、頭悪そうにこねくり回している

そういう自分の気持ち悪さに、
通り過ぎる人から何度かあからさまに見られているということに気づき、やっと気づく

だから、制作中に外に出たくないのだ

まー、そんな気持ち悪くても、頭は切り替わらないので、帰り道も1人で手話の練習みたいな感じでブツブツと帰る

近所の人は、久しぶりに見たら私の気が触れてしまった、と思うだろう

ま、そんな感じなので、
ここ数日、一通り納品も目途が付きそうで、窯の調子も悪いので、人界で暮らすためのリハビリも兼ねてのんびり制作していたら

制作中に使っていた先月の新聞の記事が目に入る



なんということか、
末端な代表を選ぶ権利も持たず、まだこの世に15年しか生を受けておらず、身を焦がす恋もしていないだろう男の子が、世界に心を痛め、責任と贖罪を感じているという…

さぁ、安穏と暮らす日本の大人のみなさん、
シリアやイエメン、パレスチナ、チベット、南スーダン、ソマリア、コンゴ、クルドにロヒンギャ、ボコハラムにアルカイーダ……うん、大和文字じゃないからよくわからないですよね
そんな舶来ごとよりまずは日本だろ!って思いますよね
うんうん、だったらなおさら
この日本の少年を心労から救ってあげてください、

問題提議したり、深く考えることはとても大事なことだけど、この歳から、こんな風に苦しく考えていたら、この子の精神が持たないと思うのです

これならわかりやすいし簡単ですよね、彼、日本人だし、これは我が国の問題ですね

苦しんでいる子供がいるんだから、大人がちゃんとしなきゃね


ちなみに、私は今年からチョコミン党に完全に入党してしまった
もう、胃袋鷲掴みである

それまでの私は、
あんな歯磨き粉味なんか、食べ物じゃない!悪魔だ!捻り潰してやる!ってくらいにアンチチョコミン党だったのだけど…

見栄もプライドもかなぐり捨てての移籍です

ま、要するにそういうことでしょ、
いまのゴタゴタは

話は変わるけど、こないだ久しぶりにまたカズオイシグロの未読本を読もうかなぁって図書館で見つけて手にとっていたのだが、
まずは読み掛けからと保留にしてしまったら、昨日の騒ぎ。
受賞には納得するが、当分、図書館から彼の本は消えるのか…とまた、数週間のつもりが数年後まで保留になるなと、がっかりしてしまう

日本国民は、ミーハーだもんね

書籍が売れるのは良いことだけど

ミーハーなのは、文化だけにしないとな

2017/10/04

高尚な童貞力、あるいは、フェティシズムの琥珀


大学院の修了制作展で、わたしの作品を初めて見た友人が、
後日、感想として、
コーネルみたいな雰囲気だね、と言ってくれた

その時まで、コーネルを明確に認識したことはなかったが、作品は見たことがあった

コーネルのもっとも有名な作品は、コーネルの箱と呼ばれる一連の箱作品
両手に抱えられる程の大きさの手作りの木箱の中に、収集したスクラップやガラクタを使ったコラージュで感傷的な幻想世界を生涯で800点以上作っている

その数年後、たまたま、コーネルの箱を集めた企画が美術館であり、
認知してから実物を見に行く機会があった

実物からは、なんとなく暗く屈折した偏愛や固執みたいなものを少し感じて、
見ているとひどく不安になったが、嫌いではなかった

ただ、彼の作品は、写真の方がなんとなくアクが抜けていて見やすい
実物は、作風と素材のせいもあるが、
アンティーク店に入った時の独特な気味の悪さや不快感があり、非常にウェットなので、
写真だとそれが和らいでノスタルジアやロマンティックが強調される気がする

それから、10年くらいたって、
たまたま国立近代美術館の常設展で、コーネルの箱が一つ展示されていた
たしか、"Vienna Bread Bakery(ウィーンのパン屋)"だったかな
見た瞬間に、なんとも言えない気持ちの悪さと目眩を感じて、貧血みたいになってしまった

臆病で不遇な引きこもりが、地下の部屋で、世界中を旅した先で泊まるホテルや街を夢想して作ったんだろうと想像すると、それは私にはあまりに切なく苦しかった
"Vienna Bread Bakery(ウィーンのパン屋)"

ジョゼフ・コーネルは、アメリカを代表する偉大なアーティストの1人
キュビスム、シュルレアリスム、抽象表現、ポップアートと移行するアメリカ美術史の中でどれにも属することを拒み、どれにも入り込んで、多くの作家に影響を与えた
晩年に、一定の評価を受け、アーティストとしての名声は、今なお続いている

『ジョゼフ・コーネル 箱の中のユートピア』は、そのコーネルの伝記である

空想の中で生きた、人付き合いが苦手で慈悲深い風変わりな紳士
空想の中にとどまり続けるには周りの環境がそれを許さず、また、受難が多ければ多いほど、空想で世界を補完していた

彼は愛情表現が非常に特殊すぎる
その点が、彼の人生も作品もすべてを支配していたし、頭がおかしいとか人嫌いだとか思われていた要因だと思う
そして、他人と肉体的にも精神的にも交わることに支障をきたしていた
ユートピア・パークウェイの自宅の庭
ジョゼフ・コーネルは、名声とは裏腹に、
生涯のほとんどを、母親と小児脳性麻痺の弟と一緒に、アメリカのニューヨーク州クイーンズのユートピア・パークウェイ(寂しい田舎町)にある小さな木造家屋で暮らした、冴えない洋服を着たやせ衰えた男だった

一つ下の弟への愛情深い献身的な介護と、母親の過剰な監視のもと、
慢性的な不眠と偏頭痛と鬱病を患いながら、おびただしい収集物のガラクタ(宝物)に囲まれた地下の仕事場で日々を過ごし、
唯一自分を自由にしてくれた空想と神への祈り(クリスチャン・サイエンスの敬虔な信者)で不遇な環境を埋め合わせ、
修行僧のように純真で禁欲的(いや、過剰な女性崇拝、又は、同性愛としてではないアニマ)で、69年間の生涯童貞であった

コーネルの子供っぽい、いや、純粋で崇高なエロスとフェティシズム
そこからの生まれる狂気じみて不器用な愛情表現が、あまりにいじらしく哀しい

近年再び日本で、草間彌生がにわかに取りざたされている
もしかしたら、草間彌生の唯一の年老いたボーイフレンド(約30歳差)として認識される方が、
この先日本で、箱以外でコーネルを一般的にするのかもしれない…
また通説では、コーネルの死で精神的に不安定になり長年のNYC生活から帰国したらしい
(これについては後付けの感傷だと思うのだけど…たぶん親の死と病気の合わない投薬と過労がかなり原因だと思うのだけど…私は。)

この本での草間彌生は、500ページ中ほんの1,2ページほどしか出てこない
その中の彼女は、こちらが不快になるくらいコーネルに冷淡で、怒りさえ覚える
名声とお金と作品への興味本位のみの自己中心的な関係にしか見えない

しかし、草間さんの自伝『無限の網』の中では、少しだけ違っている
そこに書かれている関係は、コーネルの廃人的容貌と狂人っぷりに困惑しつつ、作品とアーティストとしての尊敬と興味と、彼の境遇への哀れみや情が漂っていた
そして、この自伝でコーネルについて誰よりも多くページを割いている
いや、割かざるを得なかったのかもしれない

創作に追われていた彼女の時間を強迫的に奪えたのは、常人の時間軸で生きていない狂気のコーネルだけだったし
引きこもりの強烈なストーカー愛は、トラウマ的に生涯忘れられないだろう

それに、草間さんもまた愛に飢えて、情深く、ひどく繊細だったと思う
その彼女が、感傷的に過去のPTSDを語ったとしても、うなづける

毎日毎日、5時間以上の電話をかけて来て、ポストに1日何通ものラブレターが入っているなどという、草間さんが辟易していたコーネルのストーカー的愛情表現は、
彼にとっては、至極まっとうな愛しいモノへのいつもの愛情表現で、彼女だけではなかったみたいだ

だが、性愛としての愛は、たぶん、草間さんが初めてだったと思う

それまで、惚れやすく異常な女性崇拝と身体以外の部分への愛情による執着をしていたコーネルだが、一般的な性愛に関しては、裸体を目にすることさえ罪の様に避けてきた
だが60歳を目前にして、コーネルの神聖化した童貞力(一般的な童貞力とは180℃異なる)は、初めて一般的な興味へと降臨してくる

その時期、知り合った女性に、創作材料としてヌード写真やヌードモデルを切望したり(断られる)、大衆紙のヌード画像を切りぬいたりし始める

そして、その時期に出会ったのが、クサマ・ハプニングなどセックスをテーマに過激なセクシャルパフォーマンスをしてい草間彌生で、
彼女に(も)恋したコーネルは、すぐにヌードデッサンを誘う(ちなみにコーネルは、デッサンがまったくできません…)

彼女にとっては、もうすでに裸という概念に抵抗がなかったのだろう

コーネルは、はじめてみる生身の女性の裸体を凝視し、また性愛として実物に初めて触れることになる

その日のコーネルの日記には、恍惚さがフランス語で表現され、デッサンの線は興奮で震えていたという

"初めての女性"に入れ上げてしまうのは、普通の事
しかもの積年の想いが昇華されたのだ
コーネルは、作品にも心の宝箱にも、大切に慈しみしまっておくだろう

だが、コーネルはEDであった
もともとなのか、それとも長年の抑圧の為か…
そして、草間さんも男根恐怖症であった(その恐怖があの過激な作品を生んだ)
もしかしたら、それは2人にとって幸せな偶然の不運だったのかもしれない

たぶん、最期に会った時の2人
草間さんとコーネル

この草間さんとの性愛のほんの少し前にコーネルは、ジョイスという18歳の女の子に悲しい片想いをする
それは、弟に対するのと同じように尊いまでに無償の愛で、まるで聖書の様だった
(これは、長くなるの下記*へ省略…笑)



私は、コーネルの作品だけを見て
ずっとフランス人だと思っていた

理由は、上記に書いたように作品が偏愛的でウェットに見えたのと、
作品のいくつかにフランス語が使われていたから

どちらにしても、
ねっとりと舌に絡みつき、鼻から抜けていくくぐもった吐息のような甘ったるさと、愛しく古く小さき物への少し病的な執着(フランスに対するポジティブな偏見と、ロマンティックとノスタルジアの独断的な和訳です)を感じたコーネルの箱は、オタクなフランス人アーティストにしか見えなかった

しかし、この本を読んでみて考えが少し変わった

コーネルの箱は、願望や怨念が染み込んだ箱ではなく
狂おしい愛や欲望は、収集する行為にあり、
箱は、自分が愛した美しいものたちの標本、または、葬いのための棺桶であり
生まれ変わるための子宮ではないかと

だから手放せず、それをお金に変えることが許せなかったし
他人にいくつもコレクションされるのを恐れた

彼は、臆病だけど愛情深いから、
永遠性と引き換えに
愛したものを大切に弔った小さな木枠の柩に、彼の好きな瞬間を納める
そして、それはコーネルの中で永遠の命を持ち、空想の中で生き続ける

コーネルと箱


そして話は、はじめに戻るが
私の作品のどこらへんの雰囲気がコーネルみたいだったのだろうかと考える

似ているのが、奇人的な性格ではなくて良かったけれど

そういえば、
小川洋子の『薬指の標本』という本に出てくる、依頼されては様々な標本を地下室で作る標本技術士の弟子丸氏は、コーネルからきているのかと思っていた
だけど、弟子丸氏ほどの余裕も色気も積極性も、コーネルには1ミリもない
それに、彼よりもよほど、現実のコーネルの私生活と対人スキルは奇異である


コーネルの箱はアイロニーや詭弁が見当たらないと思う
愛と慈しみが溢れている
そして、作品に時間的色気はあるが、全くエロ気がないのだ
だから、ウェットではなかったのだ

そう考えると、今度は、コーネルの箱に会いたくなってきた

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読書感想につかった本

『ジョゼフ・コーネル 箱の中のユートピア』
デボラ・ソロモン

『無限の網』
草間彌生

ちょっとこの人の文章の書き方苦手だった、自伝だったからかな

『無限の網』の中から
意味が分からないから引用したくもないけど、なんか面白いので写真だけ

クサマハプニングの一連の話が、全く賛同できないがイカレテいて面白かったので
2ページだけ抜粋したが、この章の全体の内容が相当狂っている

しかも、聖書を焼いたとあったが、今の時世だったら首を切られていたかもしれない
国が違っていたら、確実に死のファトワーが全世界に宣告されていただろうな

反戦どころか、戦争勃発だよ…
怖い…


『薬指の標本』
小川洋子

本当はこういう偏愛とかフェチみたいなものは、総じてエロくなるものだけど、
コーネルの場合は、全くそれがないから、すごい
同書収録の『六角形の小部屋』が好き



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記*

ジョイスハンターとコーネルの悲恋


異常に惚れやすく、また、子供じみた執着と内気で臆病なため、何度も独りよがりの恋をして、その都度、空想で執拗に愛でては現実に打ちのめされ挫折してきたコーネルだが
60歳くらいの時、何処にでもある小さなコーヒーショップで出会った女の子に何十回目かの恋をする
小柄でふっくらした、ヨレヨレのブロンドの髪を背中まで伸ばした平凡な18歳のウェイトレス
ジョイス・ハンター

家出して、シングルマザー、お金がないから男の部屋を転々としていた
彼女もまた不遇であり、その悪循環な境遇から逃れるすべを知らなかった

コーネルの一見中学生のような純真な片想いは、
彼女(と悪い仲間)に利用され、ひどく裏切られてもなお、コーネルは彼女を愛し、何度も許していた
もう、それは無償の愛だと思う

ジョイス・ハンターが、コーネルを良くは思っていなかったとしても、
八方塞がりの彼女の短すぎる人生において、コーネルは、聖人君子そのものだったと思う

が、それは片側からの見方にすぎないのだろう…

彼女からしたら、もしかしたら、
惨めで可哀想な、孤独のロリコンの老人ストーカーで、金ヅルとしか思っていなかったかもしれない
気持ち悪いとさえ、感じていたかもしれない

だが、その頃のコーネルの日記には彼女が溢れていた

ここで、注意すべきは、
コーネルは片想いだったのだ
交際すらしていない
だから何もしていない

ただ彼女の働くカフェへ何度も通い、彼女を盗み見て、お手製のアート作品をコーネルの友人に渡してもらい、少しだけ話せるようになり、
慣れてから、画廊へデートに誘い、ランチをして、ほんの数回お家に招待して作品を贈り、お茶をした。
ほんの数ヶ月のほんの数回。

それで終わりである。

いや、大事なことを一つだけ抜かしてしまったが、
コーネルは、この時に人生ではじめてキスをしようとしたらしい…だが、それが口だったのか、頬がただ少し触れただけだったのかよくわからないが、歩いている途中に、
ただの一回だけ!

天にも昇る心地だったろう

彼のこの日の日記に、キスをしたと書いていた

それからすぐに、ジョイスはコーネルの前から姿を消してしまう

そして、その数ヶ月後、またいきなり友人を連れてコーネルの前に現れてて、作品が欲しいとたかりにくる
コーネルは傷つき、悲嘆に暮れ、断った



その2年後(この間に、草間さんとの関係があると思う)
こんどは仲間と共謀し、コーネルの作品を自宅から窃盗する事件がおきる

夜中に忍び込み盗まれたコーネルの作品は、画廊に安値で売りつけられていた
不審に思った画商がコーネルに知らせ事件が発覚する

が、コーネルは、仕打ちに心痛めても、告訴さえ躊躇していた
周りに説得されるような形で警察に告訴した後、
ジョイスの恋人が重窃盗罪、そして
ジョイスともう1人が軽微な罪で起訴された

それでも、コーネルは、自分を責めて彼女を救いたいと思い、弁護士を頼みにいき、
お金のないジョイスの保釈金をコーネルが用意する
そして裁判では減刑するために証言にも立たなかった

この時の弁護士がコーネルの事をこう表現している
"三分の一が詩人で、三分の一が東海岸出身の商人、そして残りの三分の一は、完全に頭のいかれた狂人"だと思ったと

そして、コーネルは保釈後も貧窮する彼女に度々生活費を援助した

だが、彼女は、12月18日(コーネルの誕生日の6日前)に他殺体で発見される、享年21歳

そして、警察から身元確認を頼まれたコーネルは、あまりに取り乱し、すがるように友人に頼み、代行してもらう

そして、彼女の遺体は、お金を出して葬儀を上げてくれる友人もおらず、長い間音信不通の親にさえも受け取りを拒否され、誰も引き取り手のいないまま、市営墓地に埋葬される前に、コーネルが名乗りを上げ、埋葬代を払い彼女のために場所を選んだ

彼女の突然の死により、悲しみのあまりコーネルは生涯、彼女を自分の中で生かし続け、慈しみ祈り続けることになる

この不器用すぎる純真無垢で慈悲深い老人の愛情深さに、胸打たれ少し泣いてしまった