2017/08/15

ルンタ


菩提樹の巨木を見上げると、色とりどりの旗が枝にたなびいていた
遠い異国のこの土地でも 、人々は願いを叶えるために 、何枚もの布をブッダの悟りの木に飾る
まるでお寺の絵馬の様だ
風にたなびく何千もの祈りは、 天からの風に乗せられて 、私の頭をかすめてとおり、 やがて人々の生活の匂いを嗅いで 、空へまっすぐ駆け上る
何枚もはためく布たちは 、路地裏に干された洗濯物のように 、人々の生活を心地よく映し出していた

香りの強い花を捧げた祭壇の上は 、狂ったように咲き乱れたあの世の川のほとりの様で、鮮やかすぎる色の配列が視界の中で点滅する
目の裏に若干痛みが走り、瞑った暗がりに花の匂いだけが流れ込む
怖さと心地のよさを感じて
ふらりと揺れた足元に
痩せた犬がまとわり付いた
貧相に見えるその犬も
目玉は綺麗に澄んでいて
瞳に宿った恍惚の光と影が入り乱れ
まるで悟りを啓いた後の仏陀の軌跡を追うように


※10年以上前にスリランカに行った時に書いた散文と写真
昔、どこかに載せた気もするけれど…

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Pray for peace.

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何をどこに祈れば良いか、近年、よくわからない
どこの誰に祈っていれば、願いを聞き入れてくれるのか
それとも祈っているだけでは、誰の命も心も救えないのか

あまりに過酷で悲惨な人々は、ここからは遠すぎるし、
周りのがなりたてる声がうるさくて、
彼らの声がぜんぜん聞こえない

祈らないで、考えればいいのかな

イカヅチを持ち、グロッソラリアを操る我々にとって、
近代の神は、知恵と暴力なのかな

近現代史をみていると、旧約聖書のヤハウェの真似事のように感じる

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あ…制作していると、考えがシニカルになりやすいな…苦笑

いつも散文が頭に流れると、
ただ走り書きのような状態でそれを書き留めるから、基本的にタイトルがない

この散文もタイトルはなかった
あえてつければ、旗"かな…とか、まとめる時に、後日考えていた

けど、数年前にルンタという言葉を聞いた時に、ピタリと貼りついた

ルンタ(རླུང་རཏ་)
チベット語で、風の馬という意味
人々の願いや祈りを神々に届け、真言を世界に広める聖獣、天を馳ける馬
仏旗に描かれている馬の絵は、ルンタを表している


…あれ!?今気づいたけど、もしかして、日本の絵馬の起源なのかな??

2017/08/12

さよなら、ぼくのなつやすみ


初夏から休みなく仕事は続いていたのだけど、
やっと、ほんの少し見えた仕事の目処が、全く見えなくなりました

夏休み、というか、
休み自体が皆無な状態で半年すぎそうな雰囲気になりました…
いや、半年と言わず、来春まで続きそうで、暗くなる

こうやって、大人の一年は、あっという間にすぎていき、
あと20年もすれば過去50年分の記憶は脳細胞から綺麗に消滅してしまい、幼少期の肥大した記憶のみを何度も繰り返し思い出しながら、人生の深い眠りにつくのだろうな…と、
うつうつと考えながら、制作している

みなさんは、しっかり遊んで、たくさん思い出を刻み込んでください。


自分でこの状況に追い込んでいるんだから、
意外とワーカホリックなのかな、
とても、日本人らしいです。


せめて3日間くらい、涼しい部屋で、ぶっ通しで本を読みたいな…
と、読みたい本を近くに積んでおいてあるのだけど…


手を使いすぎて、手首から肩にかけて、湿布だらけの図
(同情を誘うように押し付けがましく写真を添付してみる…)


話は変わるけど、
こないだ読んでいた本の中に、大きな獣が、強いストレスを感じると身食いをする描写があるが、人も全く同じなんだよな


昔、クラスに爪を噛む癖の同級生が数人いた気がするが、あれも完全に身食い
あの癖が不思議すぎて、当時、ちょっと真似をしてみたら、
なるほど、これは癖になるかもな…と、思った記憶がある
矯正するのが大変そうだから、それ以上する気にはならなかったが。
カニバリズムの一種にもなるのかな…

いまの子供も爪を噛む癖の子は結構いるのかな
子供に触れる機会がない(というか人と会える機会がない)から、わからないけど

ま、爪は細菌の塊だからね…

制作していると、くだらないことしか考えないです

どうぞ、みなさまもご自愛くださいませ

2017/08/07

真夏の亡霊

小学生の時
近くに大きなお寺があるところに住んでいた

そこでは、月に一度大きな縁日があり、よく遊びに行った記憶がある

縁日ではたくさんの屋台が出ており、
地元の人に限らず遠くからも、お年寄りから子供までやってきていて毎月とても賑わっていた

そんな賑わいの中で、いつも人々が遠巻きに過ぎ、見ないように避けて、
ポカリと開いた空間があった

ラジカセから大きく流れる軍歌
白装束に旧日本軍の軍帽をかぶり
四つ這いになって頭を垂れた
足のない人、手のない人…
目の前に木の募金箱を置いていた

太平洋戦争の傷痍軍人

あまりの異様な光景に、眼を奪われて、怖くて仕方ないのに、見てしまう
この世に存在しているのかどうかさえわからなかった
それくらい異質だった

なんだろう…この人たちは…
何をしているんだろう…
なにか悪いことをして謝っているのかな…

なんだか悲しくて怖くて、腹が立った

音の割れた大音量の軍歌も嫌だったし、
白装束に、よれた黄土色の軍帽も嫌だったし、
手足が無い身体でコンクリートの上に痛々しく四つ這いになり、
何より、無言でこうべを垂れているのが、嫌だった

人が、よりによって大人が、
惨めな格好をしているのが受け入れられなかった

彼らに対する小学生の私の感情は、ネガティヴなものだけだった

道行く人に断罪されているみたいだった
私にも、彼らの断罪を強要されている気がした

世間はバブルの末期で
道を歩けば500円玉が転がっていた(私の記憶では)
街はギシギシと、ジェットコースターの頂上辺りまでのぼり詰めていて、
から騒ぎのような状態で、点滅する光の中で羽根のついたセンスをひるがえして赤い口をした大人が踊っている時勢だった

その中で、まるで時代錯誤のような風景

目にしていたのは、夏だけではないはずなのに、夏になると亡霊のように思い出す

中国残留孤児だった老人たちの肉親探しを呼びかけるNHKのテレビ放送も
街で断罪をうけるようにこうべを垂れる傷痍軍人も
昭和という年号とともに姿を消していった戦後の亡霊

カンボジアに行った時に、ポルポト圧政下の傷跡が生々しく
地雷で手足を無くした人たちが、やはり物乞いのように、アンコールワット遺跡のそこかしこにいた
まるで風景のように溶け込んでいたが、彼らは決してこうべは垂れていなかったし、
周囲の人々も避けてはいなく、むしろ商売敵くらいの勢いだった
ベトナムでもそう

軍人と民間人とかの違いなのかもしれないけれど、
太平洋戦争末期の軍人のほとんどは民間人だったはず

東京だと昭和40年〜50年あたりが傷痍軍人の姿を見かけた最後だというが、
なぜか私が見かけたのは昭和60年あたりだった
調べたら、やはりあの地域の私が見かけた彼らの姿が、本当に最後のようだった

戦後72年

昔ほど表立ってはいないが、今もなお、ご存命の方や、問題を抱えている方もいらっしゃると思う

映画やドラマで再現された昭和の三丁目"などを懐かしむ人がたくさんいるらしいが、
それのどこにも、傷痍軍人も中国残留孤児も描かれていないことを気付く人が、何人いるんだろう…

見ないように避けて、記憶から消してしまおうとしているのは、
悲惨さなのかな、それとも現実なのかな

って、エレクトロとかドラムンベースとかクラブミュージックをヘッドフォンで聴いて制作しながら、こんなことを考えている自分の頭は、だいぶ狂っている気がする…

藤城清治さんの展示にあった作品


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山形市の恵埜画廊での展示が終了いたしました。
お暑い中、お立ち寄りくださった方、お気にかけてくださった方、
みなさま、本当にありがとうございました。
山形は、今、花笠まつりの真っ最中だそうです。
暑かったり、激しい雨が降り出したりと、
少し不安定な気候が続いておりますが、どうぞご自愛くださいますように。

本当に、ありがとうございました。